校長のお説教 愛の倫理編
土曜日の昼下がり
リビングで今日はこれから何をしようかと。話しかけようとしたその時
結婚指輪をテーブルに叩きつけ“あなたとはもう一緒にいれない”
急に奥さんから宣言されたらどう思うだろうか。
頭が真っ白になるのではないだろうか。
起立、礼!
みんなおつかれさん。校長の塩谷だ。
そもそも愛ってなに?という疑問が出てきたとき、先生は瀬戸内寂聴さんの本に行きついた。
今日はその中の一つ、寂聴先生による“愛の倫理”を読んで先生なりに考え、みんなにお説教していこうと思う。
しおや整骨学校ではほとんどの生徒が、もう立派な社会人だ。
みんなそれなりに恋愛は数々してきているだろうが今一度、自分の気持ちと行動を振り返ってほしいのだ。
それでは始めていこう。
男たちの理想に上がってくるのは、いつの時代でも家庭的な女性なのだという。
男がよく求めがちな家庭的な女とはヒステリックになるなとか、掃除ができるとか、料理がうまいとか。らしいのだが
おもしろいことに、これらすべてを100%完璧に描いてみたら、それはなんと男にとってなんの魅力もない女性が出来上がるだろうと寂聴先生は言うのだ。
求めたもの全てが出来てしまえば、次はつまらないと言い出す。いったい男というものは。
けしからん!
優しくてマメで家事もしてくれるような優しい夫よりも、亭主関白で神経が太いような夫が良いという女性も実は多いそうだ。女というものが滲み出てくるのだとか。
そして妻というものは自分の生活が単調すぎると恋をしたくなるらしい。
気をつけろ。
そして女というものは、どんな男からでも恋をささやかれることを心のどこかで期待しているというのだ。
んん。気をつけろ。
女がウソをついて必死に演技をするときは、最も魅力的になるのだとか。
もう、勘弁してください。
本質的に妻というものは夫に優しくされたいというよりも、その優しさで理解されることを望むのだというのだ。
どうだ生徒諸君。
つまりは奥さんには多くを求めず(我々男は奥さんに求めたように行動されても文句を言い出すのだ)そして優しいだけではダメ絶対。優しく理解することを求められ、時には奥さんに支えられないと生きていけない。それをワガママに求めるのではなく、精神面で助けられていることに感謝する。そして生活が単調にならぬよう、毎日家に帰るたびに「マズイ、うちの家計がまずいことになっている!もうそれは火の車だ」と多少はドキドキさせることが必要なのではなかろうかと。
校長そう思う。
どうだ。
寂聴先生“愛の倫理”是非君も読んでみてくれ。
ちなみに結婚指輪をテーブルに叩きつけられてしまったのは、この私校長の仁義なき実体験だ。
あれは三年前の夏だった。
それでは今日はここまでだ。
みんな、聞いてくれてありがとう。
解散!礼!
押忍!